東京都の最低賃金が、2026年10月1日から時間額1,280円に引き上げられます。従来の1,226円から54円の上昇で、引上げ率は約4.4%です。一方、経団連が公表した今春の中小企業の賃上げに関する調査結果では、賃上げの平均額が12,201円、賃上げ率は4.25%でした。世間の賃上げ動向と比べるだけで、自社の賃金のあり方を判断することはできません。しかし、こうした数字をきっかけに「自社の社員は、昨年よりも豊かになっているだろうか」と考えてみることには、十分な意味があります。前編では、その問いにどう答えるか、確認の仕方を整理します。
最低賃金1,280円が意味するもの
最低賃金は、使用者が支払わなければならない賃金の下限です。労働者の生計費、労働者の賃金、通常の事業の賃金支払能力を総合的に考慮して決められます。月額に換算すると、変化の大きさが見えやすくなります。1日8時間、月20日、合計160時間働くと仮定して計算してみます。
| 項目 | 改定前 | 改定後(2026年10月1日〜) |
|---|---|---|
| 時間額 | 1,226円 | 1,280円(+54円・約4.4%) |
| 月額(160時間で換算) | 196,160円 | 204,800円(+8,640円) |
「うちは最低賃金ぎりぎりの社員はいないから関係ない」と考える経営者もいるかもしれません。しかし影響は、最低賃金で働く人だけにとどまりません。最低賃金が上がれば、パート・アルバイトの時給や初任給の相場も押し上げられます。その結果、入社数年目の社員との賃金差が縮まり、社内の賃金バランス全体に波及していきます。最低賃金の改定は、自社の賃金水準を見直す定期的な機会だと捉えるのが実務的です。
「豊かになった」を測る、二つの物差し
豊かさにはさまざまな意味がありますが、ここでは経済的な豊かさに絞って考えます。賃上げを見るときに確認したいのは、「いくら増えたか」という金額と、「どの程度増えたか」という割合の両方です。そして、それを測る物差しは二種類あります。
| 物差し | 比べる相手 | 確認すること |
|---|---|---|
| 外の物差し | 地域全体、同業他社、同じような仕事をする人 | 世間の賃上げと比べて、金額・割合ともに見劣りしていないか |
| 過去の物差し | 自分自身の昨年、数年前 | 以前の自分と比べて、金額・割合ともに着実に増えているか |
この二つの物差しが、ともに「豊かになった」ことを示している場合に、「豊かになった」という感覚は最も大きくなります。昨年より給与が増えていても、周囲がそれ以上に上がっていれば、取り残された感覚が残ります。反対に、周囲より水準が高くても、何年も横ばいが続けば、将来への期待はしぼんでいきます。どちらか一方の物差しだけで「うちは十分に払っている」と判断してしまうのは、危うい面があります。
実務的には、次のような手順で確認できます。過去の物差しについては、賃金台帳から社員一人ひとりの昨年と今年の月額を並べ、増えた金額と割合を算出します。平均値だけでなく、年代や職種、役職ごとに分けて見ると、特定の層だけが取り残されていないかが分かります。外の物差しについては、公的な賃金統計や、同じ地域・同業種の求人票に示された賃金水準が手がかりになります。完全に正確な比較はできなくても、自社の立ち位置を大まかにつかむだけで、判断の質は大きく変わります。
同じ金額でも、感じ方は同じではない
金額と割合の両方を見る必要があるのは、家計に加わる金額が同じでも、それまでの給与に対する変化の大きさが異なるからです。たとえば同じ月1万円の賃上げでも、月給20万円の人にとっては5%の上昇ですが、月給40万円の人にとっては2.5%にとどまります。
ここで、世間一般の賃上げ率が4%台であれば、2.5%という数字は見劣りします。たとえ金額としては大きな賃上げを受けていても、世間の賃上げ率より自分の賃上げ率が低いと、「豊かになった」という感覚は薄まってしまいます。定額の賃上げは分かりやすく公平に見えますが、給与水準の高い中堅・ベテラン層ほど、割合の面で物足りなさを感じやすい構造があるのです。
もっとも、この二つの数字だけで社員の豊かさを把握できるわけではありません。家族構成や住まいの状況によって必要な生活費は違いますし、実際の経済的な余裕と、本人が「豊かになった」と感じることも、必ずしも一致しません。それでも会社としては、賃上げを実施したという事実だけで満足するのではなく、それが社員の暮らしと気持ちにどのような変化をもたらしたかまで、目を向けたいところです。
「守り」の目安 — 賃金の購買力は保たれているか
給与が増えていても、それ以上に物価が上がれば、同じ給与で買えるものは実質的に少なくなります。仮に賃金が3%上がっても、同じ期間に暮らしに必要なモノやサービスの価格が4%上がっていれば、社員の暮らしは以前より苦しくなっています。額面は増えているのに、生活に余裕が生まれない。社員がそう感じている職場では、賃上げの実施そのものが評価されにくくなります。
そこで、経営上の「守り」の目安として考えたいのが、社員の賃金の購買力が保たれているか、という点です。最低賃金の改定幅や、中小企業の賃上げ動向は、その判断をするうえで一つの参考になります。最低賃金が約4.4%、中小企業の平均賃上げ率が4.25%という状況で、自社の賃上げ率がそれを大きく下回っているのであれば、社員の購買力が目減りしていないかを点検する必要があるでしょう。
「守り」から「攻め」へ — 報われている実感をつくる
生活水準を守ることは大切です。しかし会社としては、そこから一歩進んで、社員が「自分の働きが報われている」「この会社で働き続ければ、暮らしも良くなっていく」と感じられる状態を目指したいものです。以前「iDeCo拠出限度額拡大を『福利厚生の好機』に変える」で、辞める理由をなくすだけでなく「居続けたくなる理由」をつくることの大切さをお伝えしました。賃金は、その理由の中心にあるものです。
このとき重要になるのが、外の物差しです。自分の賃金が増えていても、同じような仕事をする他社の人より低い水準にとどまっていたり、任される責任が増えたことに見合っていなかったりすれば、納得感は得にくくなります。
| 位置づけ | 目的 | 主に見る物差し |
|---|---|---|
| 守りの賃金 | 社員の生活水準を守る | 過去の物差し(購買力が昨年より落ちていないか) |
| 攻めの賃金 | 社員の意欲・定着・採用につなげる | 外の物差し(同じ地域・同業種の水準、責任に見合っているか) |
賃金を、生活を支える「守り」から、社員の意欲や定着、採用につながる「攻め」へと発展させる。そのためには、支給額を増やすことに加えて、何を評価し、これからの成長にどう報いていくのかを社員に伝えることが欠かせません。同じ額の賃上げでも、その理由が伝わっているかどうかで、社員の受け止め方は大きく変わります。給与明細の数字が変わるだけでは、社員は「なぜ上がったのか」「来年も上がるのか」を知ることができません。賃上げの時期に合わせて短い面談の場を設け、「この一年でこういう役割を担ってくれたから」「来年はこういうことを期待している」と言葉で伝える。それだけでも、賃上げは単なる金額の変化から、会社からの評価と期待のメッセージへと変わります。
まとめ
- 東京都の最低賃金は2026年10月1日から1,280円(約4.4%増)。影響は最低賃金で働く人だけでなく、初任給や社内の賃金バランス全体に及ぶ
- 賃上げは「いくら増えたか(金額)」と「どの程度増えたか(割合)」の両方で見る
- 物差しは「外の物差し(地域・同業他社)」と「過去の物差し(自身の昨年)」の二つ。両方が豊かになったことを示すとき、実感は最も大きくなる
- 同じ金額の賃上げでも、元の給与によって割合は異なり、世間の賃上げ率を下回ると豊かになった感覚は薄まる
- 「守り」の目安は、賃金の購買力が物価上昇に対して保たれているかどうか
- 「攻め」の賃金には、支給額に加えて、何を評価し成長にどう報いるかを伝えることが欠かせない
後編では、自社の賃上げが世間に追いついていない場合や、賃上げが社員の納得感につながっていない場合に、経営者が何を考え、社員の暮らしと会社の経営をどうつなげていくかを考えます。
ET-OFFICE 経営労務デザインでは、最低賃金改定への対応から、賃金水準の点検、賃金体系・評価制度の設計まで、経営全体の視点でサポートしています。「自社の賃金が世間と比べてどうなのか知りたい」「賃上げの伝え方に悩んでいる」という方も、まずはお気軽にご相談ください。初回相談は無料です。

(2026-09-11)" style="display: none;" />

