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前編(上)のおさらい

前編では、一般家庭向けプロダクトが「機能を発揮している時間」よりも「置かれている時間」のほうがはるかに長いという話をしました。したがって、「置物としての機能」——すなわち見た目の美しさ——はきわめて重要です。そして、美しさによる幸福度への影響は、プロダクト単品よりも、それが置かれる「場」全体のデザインにおいてより大きく発揮されるという考え方をお伝えしました。

後編(下)では、この「場との調和」というテーマを日本のプロダクトデザインの変化と重ねながら、さらに掘り下げて論じます。

コロナ以降、日本のプロダクトデザインは変わった

私の感覚では、コロナ禍を境に、日本のプロダクトデザインは大きく変わりました。具体的には、生活空間との「調和」を意識したデザインが明らかに増えたということです。

それ以前の日本のプロダクトデザインは、どちらかというと「店頭での訴求力」を主軸に設計されていたように思います。量販店の棚の上で、他の製品と並んだときにいかに目立つか。パッケージや本体の色・形状によって、いかに購買意欲を掻き立てるか。そういう観点が優先されていました。

なぜコロナが転換点になったのでしょうか。コロナ禍での巣ごもり生活は、多くの人に自分の生活空間を見つめ直す機会を与えました。長時間を家の中で過ごすことで、「この部屋の空気感が好きか嫌いか」「この製品の存在感が気になる」という感覚が研ぎ澄まされていったのだと思います。生活者の意識の変化が、メーカー側のデザイン思想を変えていった。その好循環がコロナ後に起きたのではないでしょうか。

実際、スマート家電・キッチン家電・照明・収納用品などのカテゴリーで、白・グレー・マットブラックなどの落ち着いたカラーリングと、余分な装飾を省いたシンプルな形状の製品が増えました。これらは、特定のブランドや個性を主張するのではなく、どのような空間にも馴染むことを意識した設計思想の現れです。

この変化は歓迎すべきものです。しかし同時に、課題もあると感じています。「調和」を目指すあまり、すべてが似たような無個性な製品になりつつあるという懸念です。調和は大切ですが、それは没個性とは違います。この点については後ほど触れます。

「調和」の意識は改善されたが、まだ十分ではない

コロナ以降に日本のプロダクトデザインが向上したとはいえ、「場との調和」という観点ではまだ改善の余地があると私は感じています。

一つは、「生活空間全体を設計する」という視点の不足です。個々の製品は美しくなっても、それが置かれる部屋全体のトーン・素材・光の使い方との整合性まで踏み込んで考えられたデザインは、まだ少数派です。製品ごとに「それ単体で見れば美しい」設計はできていても、「その空間の中で機能する美しさ」の設計には至っていないケースが多いのです。

もう一つは、「日本の生活文化」への感度の問題です。日本の住空間は、木・紙・石・布など自然由来の素材と、現代的な工業製品が混在しています。この独特の文脈の中で、どのような製品デザインが場と調和するのかは、西洋や北欧的なデザイン文法をそのまま輸入しても解決しません。日本の生活者の空間感覚に寄り添った、独自のアプローチが必要です。

領域現状具体例
改善が進んでいる領域カラーと形状のミニマル化白・グレー・マットブラックを基調とした、装飾を省いたシンプルな設計が増加。量販店での派手な訴求より、生活への溶け込みを優先する傾向
まだ課題が残る領域「場」全体との有機的な調和素材感・光・空間のトーンとの響き合いまで考慮した設計は少数。「その部屋の中で美しい」製品より「それ単体で美しい」製品が依然多い

「場を超越するデザイン」というものが、確かに存在する

ここまで「場との調和」の重要性を論じてきましたが、矛盾するように聞こえるかもしれない話をします。「本当に優れたプロダクトデザインは、場を超越し、どのような環境にも調和する」という命題です。

これは逆説ではありません。デザインの完成度が極限まで高まったとき、そのプロダクトはある種の「普遍性」を帯びます。特定の空間に合わせるのではなく、それ自体がひとつの完結した美的世界を持ち、どのような空間にも自然に溶け込む力を持つようになります。初代のダイソン(黄色とグレーのツートンカラーの掃除機)や初代のゼンハイザーのオープン型ヘッドホンは、格式の高いお茶室にも調和するでしょう。

私がそう思う理由を少し説明します。初代ダイソンの掃除機は、黄色とグレーという一見アクの強い配色にもかかわらず、その形状と素材の使い方に圧倒的な論理性と完成度があります。機能から導かれた形が、そのまま美しさになっている。恣意的な装飾がゼロで、すべてが必然です。そうした製品は、茶室の「無駄をそぎ落とした美」と、実は同じ精神を持っています。だから調和するのだと私は思います。

初代ゼンハイザーのオープン型ヘッドホンも同様です。あの製品の美しさは、音のために設計されたすべての要素が、そのまま視覚的な美しさになっているという一点にあります。機能と美が完全に一致しているとき、そのデザインは時代や空間を超える力を持ちます。

日本人が目指すべきは、「場と調和するデザイン」

「場を超越するデザイン」は確かに存在します。しかし、それほど高い完成度のプロダクトデザインを生み出すことは、きわめて難しいことです。そしてこの困難は、日本人にとってさらに一段階深い理由があります。

自然との共生を文化の根底に持ってきた日本人には、自然物の美しさを感じる感性が磨かれています。しかし、人工物の造形に対する文化的な背景——工業製品の意匠を意識的に磨き、それを生活の中に取り込んでいく文化——は、ヨーロッパのそれと比べると歴史が浅いと言わざるを得ません。

日本には、茶道・華道・建築・工芸など、「場をトータルにデザインする」という思想が古くから存在しています。しかしそれは、自然素材と伝統的な様式を前提としたものでした。現代的な工業製品を、その伝統的な空間感覚の中にどう位置づけるかという問いは、まだ十分に深められていません。この問いに向き合うことが、日本のプロダクトデザインの次の課題だと私は思います。

したがって、今の日本のデザイナーや事業者が目指すべき現実的な到達点は、「場を超越するデザイン」ではなく「使用環境と調和がとれたデザイン」だと私は考えます。これは妥協ではありません。「調和」を真剣に追求することは、それ自体が高度なデザイン行為です。

「この製品は、どの空間に置かれるのか。その空間の色・光・素材・空気感と、どのように響き合うのか」——こうした問いを持ってプロダクトを設計することが、生活者の幸福度を本当の意味で高めるデザインへの道です。店頭で目立つことより、暮らしの中に溶け込み、日々の生活を静かに豊かにし続けること。それが、一般家庭向けプロダクトデザインの本来の使命だと私は思っています。

まとめ — 経営デザインへの示唆

2本にわたってプロダクトデザインについて考えを述べました。「機能性と美しさ」「単品と場」「調和と超越」——これらは対立する概念ではなく、互いに深く絡み合った問いです。

  • 製品は「道具」であると同時に「置物」でもあり、使われていない時間の美しさが幸福度を左右する
  • プロダクト単品の美しさよりも、それが置かれる「場」全体の調和のほうが幸福度への影響は大きい
  • コロナ以降、日本のプロダクトデザインは「場との調和」に向けて進化しているが、生活空間全体の設計という視点はまだ発展途上
  • 機能と美が完全に一致した「場を超越するデザイン」は確かに存在するが、現実的な到達点は「場と調和するデザイン」を真剣に追求すること

企業を一つの生命体として全体俯瞰するという視点で考えてみると、この「調和」を追求する姿勢は、経営戦略やブランド戦略にもそのまま当てはまります。製品単体の機能を磨くだけでなく、それが置かれる市場・顧客の生活・組織の文化との調和を考えること——これは、経営労務デザインが目指す姿勢そのものです。本質に向き合い、自ら新しい価値を生み出すという視点を持って、自社の製品やサービス、職場環境を見直すきっかけになれば幸いです。

なお、本コラムでは触れられなかった「なぜ美しいものが幸福度を高めるのか」というテーマについては、別のコラムで改めて論じる予定です。


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