2026年10月9日、公正取引委員会は、「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針等に係る調査」を開始すると発表しました。同日、50,000名の事業者に、取引の実態を把握するためのウェブアンケートへの協力依頼状を発送しており、回答期限は11月5日です。調査の結果を踏まえてヒアリングを行い、結果を公表するとともに、独占禁止法上の問題につながるおそれのある行為が認められた事業者には、注意喚起文書を送付するなどの対応を予定しているとしています。
この調査の土台となっているのが、同年6月24日に公正取引委員会・中小企業庁・特許庁が公表した「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」(以下「知財取引指針」)です。取引上の立場の弱い中小企業等から、知的財産やノウハウ、データを無償や低い価格で吸い上げる行為について、独占禁止法上の考え方を示したもので、特許などの権利に限らずノウハウやデータまでを含み、全業種を対象としています。国が取引の実態の把握に乗り出したことは、中小企業にとって心強い動きです。ただ、指針や調査がどれほど充実していても、自社が何を守るべきかが分かっていなければ、守ることはできません。今回は、「守る」の前に「知る」という視点で考えてみます。
「守るべきもの」は、特許だけではない
知財取引指針では、知的財産権に加えて「ノウハウ」と「データ」を守る対象に含めています。ここでいうノウハウとは、権利として保護されていないノウハウや発明のことで、図面、レシピ、工程表、成分表のほか、職人が持つ特殊な加工技術や、営業・マーケティングのノウハウも含まれます。データには、CADデータなどの技術資料、生産設備の稼働状況を示すデータ、顧客データなどが含まれます。
指針が「問題となり得る事例」として挙げているものを見ると、見積りの段階で設計データの無償提供を求められた、監査の名目で受け入れた工場見学で加工方法などのノウハウを聞き出された、試作品やレシピを無償で提供させられた、といった場面が並んでいます。いずれも、中小企業にとって決して他人事ではありません。
指針は、秘密情報を含むノウハウ等が「企業の競争力の源泉」になっていると述べています。つまり、守るべきものとは、自社の強みそのものなのです。
第一歩は、自社の「強み」の棚卸
では、何から始めればよいのでしょうか。私は、自社の財産、すなわち競争力の源泉である強みの棚卸こそが、知的財産を守るための第一歩だと考えています。知財取引指針も、契約交渉が本格化する前に、自社のノウハウ等のうち何を秘密情報とするかを整理しておくことが望ましいとし、最低限、次の三つに区分しておくことが重要だとしています。
| 区分 | 社外への出し方 |
|---|---|
| ① NDAなしで開示できる情報 | 商談などで、相手を問わず開示してよい |
| ② NDA締結後に開示できる情報 | 秘密保持契約(NDA)を結んでから開示する |
| ③ いかなる状況であっても開示すべきでない情報 | 相手や状況を問わず、社外に出さない |
指針は、整理すべき情報の例として、部品の組合せ方法、新規素材の成分、製造ノウハウ、金型等の設計図面や設計・加工データ、公表前のデザイン、取引価格や取引先に関する情報、接客マニュアル、顧客の個人情報などを挙げています。製造業に限らず、どの業種にも棚卸すべきものがあることが分かります。
棚卸の難しいところは、強みが当たり前になりすぎて、社内の誰もそれを強みだと意識していないことです。指針は、秘密とすべき情報を把握できていない場合には、競合他社との製品・サービスの差異を分析することが有効だとしています。競争力の強い製品や売上げにつながっている特徴を拾い上げ、その個性を生み出している要因を掘り下げていくと、従業員が業務の中で身に付け、文章になっていないノウハウも見えてくる、という考え方です。
棚卸は、守るためだけのものではありません。自社の強みが言葉になれば、その価値を取引先に説明し、対価として求めることができます。指針の実践例にも、見積書に図面の提出をお断りする一文を記載している例、デザイン料と制作費を分けて記載している例、著作権を譲渡する場合としない場合の2通りの見積書を示している例が紹介されています。価格ではなく価値で選ばれるための土台も、棚卸にあるのです。
棚卸を「一度きりの点検」で終わらせない
ただし、棚卸は一度やれば終わりではありません。強みは日々の仕事の中で生まれ、磨かれ、時には古くなっていきます。そこで大切になるのが、棚卸をきっかけとして、自社の強みをさらに高めるための取り組みを日常的に行えるような体制を作ることです。たとえば、次のような取り組みが考えられます。
| 体制の要素 | 取り組みの例 |
|---|---|
| 定期的な見直し | 時期を決めて棚卸を繰り返し、①〜③の区分を見直す |
| 現場の知恵を言葉にする | 職人の技や営業のコツを文書にし、いつ作成したかを後から証明できる形で残す(指針は、公証制度による確定日付、タイムスタンプ、電子署名などの利用を有効としている) |
| 外に出すときのルール | NDAの締結、工場見学の見学ルートや説明内容の事前決定、見積書への記載など |
| 人と組織の仕組み | 秘密保持のルールや就業規則の整備、強みを高める行動を評価し、育てる仕組み |
なかでも見落とされやすいのが、人と組織の仕組みです。指針は、契約や就業規則等にあらかじめ定めがない限り、特許を受ける権利は発明者に帰属すると説明しています。社員が生み出した発明やノウハウをどう扱うかを、就業規則や社内の規程でどう定めておくかも、体制づくりの一部です。そして何より、強みを生み出し、高めているのは社員です。強みを高める取り組みを評価し、育てる仕組みがあってこそ、棚卸は形だけの点検ではなく、強みを育てる循環になります。制度を作って終わりではなく、運用し続けることが大切です。
棚卸によって、守り方を選び分けることもできるようになります。指針は、他者が見ればすぐに内容が分かってしまう技術については、秘密として管理するよりも、相手方との協議を始める前に特許出願を検討することも一案だとしています。秘密として守るのか、権利として守るのか。その判断の出発点も棚卸です。
また、近年は生成AIの使い方にも注意が必要です。指針は、秘密情報をAIに入力した場合に、学習に使われたり、他の利用者への出力に含まれたりするおそれがあることにも触れています。棚卸で③に区分した情報はAIに入力しない、といったルールも、今の時代の体制づくりには欠かせません。
強みの棚卸は経営の仕事、それを高め続ける体制づくりは人と組織の仕事です。両者は別物のように見えますが、実は同じ根を持っています。当事務所が経営労務デザインとして、経営と人事労務を一体で考えるのも、このためです。
まとめ
- 2026年10月9日、公正取引委員会が知財取引指針等に係る実態調査を開始した(50,000名の事業者へのウェブアンケート。回答期限は11月5日)
- 土台となる知財取引指針は、同年6月24日に公正取引委員会・中小企業庁・特許庁が公表したもの。特許などの権利に限らず、ノウハウやデータも守る対象とし、全業種を対象としている
- 守るべきノウハウ等は、指針の言葉でいえば「企業の競争力の源泉」、つまり自社の強みそのもの
- 知的財産を守る第一歩は、自社の強みの棚卸。最低限、①NDAなしで開示できる情報、②NDA締結後に開示できる情報、③いかなる状況でも開示すべきでない情報、の三つに区分する
- 強みが見えないときは、競合他社との差異を分析し、選ばれている理由を掘り下げる
- 棚卸は一度きりで終わらせず、強みを高める取り組みを日常的に行える体制(定期的な見直し、文書化、外に出すときのルール、人と組織の仕組み)につなげる
- 特許の出願や契約書の作成など専門的な手続きについては、弁理士・弁護士などの専門家や、47都道府県に設置されているINPIT(工業所有権情報・研修館)の知財総合支援窓口も活用できる
出典:公正取引委員会「『知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針等に係る調査』の開始について」(2026年10月9日)/公正取引委員会・中小企業庁・特許庁「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」および同概要版(2026年6月24日)
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